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刺繍マメ知識

刺しゅうの歴史 手芸材料とは
刺繍の歴史
刺繍のはじまりは、いつの頃からかといわれますと、 中国では秦の時代からとも思われるし、 日本では正倉院の宝物の中に刺しゅうが見られます。 どちらにしても歴史は大変古いように感じます。

私が、時折本やテレビで目にする刺繍は、日本では、安土地桃山時代の華やかな衣装、 元の時代においてはフビライハンの服装にほどこされた刺繍などがあげられます。 このように刺繍は古くから衣装に、多分に取り入れられてきたように思います。

江戸時代から古く伝わる家に残っている紙入れやタバコ入れなどの小物には、 花柄の刺繍がそっとほどこされています。 その刺繍された花の美しさや、描かれている自然の美しさを見ると、 日本人の心のやさしさや奥深さがあらわれているように感じます。 又、その刺繍が大変繊細なのにも驚かされます。
刺繍バック
和装小物はいつの時代からでしょうか。 時代劇などを見ていたら、小間物問屋も時折登場します。かわいい巾着袋もあれば、大棚の旦那衆が象牙のとめ具をつかった巾着袋をもち、下のところにはそっと小さく小花がさしてあるのを目にしたりもします。

でも衣装や小物に見られる日本の刺繍とは別に、ヨーロッパではなぜ多くの壁掛け刺繍があるのかと驚き、考えさせられます。 フランスのロワール川沿いのお城を巡ったとき、石作りのお城では、 直接外の冷えが伝わらないようにということで大きな壁掛けの刺繍がうまれたと、 聞いたことがありました。 パリでは、椅子のクッションの張替えのお店で、大変年代ものの刺しゅうを拝見しました。 どちらにしても、この時代までは、ある程度のお金持ちや身分のある方のために 刺繍は行われていたのではと思います。

同時にこの時代は、多くの刺繍職人の方がいらっしゃったのではないでしょうか。 手の込んだ糸の流れにも乱れが全くない繊細ですばらしい刺繍に感動をおぼえます。 では、いつごろからもっと庶民一般の人たちが刺繍を始めるようになったのでしょうか。
江戸時代において、庶民が刺繍している姿が描かれている絵を私は見たことがありません。 私が見たのは、大正時代からかもしれません。 その頃から糸や生地が手ごろな価格になり、 大勢の方が手にすることができるようになったからではないでしょうか。
刺繍糸
ヨーロッパでは産業革命後、布地も量産により価格も安くなり、技術の進歩により糸も色も豊富になりました。 19世紀の後半のヨーロッパでは、ドイツで生地メーカーが誕生したり、デンマークでは刺繍の会社が創設されたりして、 刺繍蚕業が一つの盛り上がりをもった時代であったように思います。 ウール生地での糸をセットにされた刺繍のキットが販売されるなどして人気を集め、 一般の多くの方々が刺繍を楽しまれたのではないでしょうか。

そのことから考えると、明治時代には、ヨーロッパからも刺繍が入ってきたことが考えられます。 でもこれは、ヨーロッパで買い求めた刺繍のキットであったかもしれませんね。 それを思うと、私どもの刺繍の材料屋さんはすでに150年も前からあった歴史ある仕事とうことで、 誇りをもっていい仕事になります。

では、生活の中での使われてきた刺繍は、どのような時からなのでしょうか。 民族衣装の中で、使われている刺繍を見ると、生活の中に溶け込んでいった刺繍ですね。 趣味の世界ではないのではと感じます。 刺繍を作品として 見るのではなくて、もっと気軽なものでしょうか。

刺繍 壁掛け

ベトナムの山岳地方の民族の服装に飾られいた刺繍、中国雲南省の色豊かな刺繍、 ドイツ、バイエルン地方の刺繍などは、生活の中の一部になっています。 私は、この方達の刺繍をみていると、額に入れたり、タペストリーで、飾るのかなあと・・・・

母が結婚の時に使った刺繍で飾られた花嫁衣裳を、娘が結婚式のもう一度使うのは、 刺繍が生活の中に生きているからではと思います。 手刺繍しかなかったとき、もっと刺繍は身近なものだったのでしょう。

いまでも手刺繍には、ぬくもりと愛着を感じます。 海外に目を向けるとまだ刺繍は、生活の中で生きているようにおもいます。 生活が豊かになって生活を楽しむようになってから刺繍もずいぶん変化をとげて きました。 趣味としての刺繍の分野が、出来上がってきたとおもいます。 生活の糧でもなく、楽しむ刺繍が生まれ、ひとつのおおきな世界となったと感じます。 戦後から今まで、刺繍は手芸としての作品として生かされてきたように感じています。

そのような中で、私は刺繍を愛好される皆様に、 刺繍を生活の中で楽しめるよりよい材料が提供できればと思っています。

手芸材料とは
手芸材料と広く一般に言われるようになったのは、いつのころからでしょうか。これはやはり、手芸の材料として生地や糸の注文を多くのお客様より頂くようになり、対応できるようになったころからではないでしょうか。

もちろんその前提として、生活に余裕ができたことで一般生活の中へ刺繍が浸透し、だれでもが楽しめるようになったことがあげられます。
刺繍イラスト
刺繍の普及には、刺繍のための材料が大きく貢献しています。最初はヨーロッパからはじまったようで、19世紀中頃のドイツでは、ウール生地に図案を印刷して糸をセットしたものがすでにあったと聞いています。19世紀の後半になると、ドイツでは生地メーカーが設立され、デンマークでは、刺繍の会社が設立されたりして、一般の人々への材料を提供する基礎ができていたと思われます。同様に、手芸材料に対しての要望が、高まっていたことを感じさせます。

ヨーロッパでこのような動きを見せている時、日本では江戸時代から明治時代への移行時期で、まだまだ落ち着いていない時期でありました。しかし、明治時代になり世の中も落ち着きを取り戻した頃にヨーロッパから刺繍が新鮮な文化として入ってきたのではないでしょうか。

ヨーロッパで刺繍に関する本を拝見しますと、図案の本が多いのに大変驚かされます。又、現在の日本のものと比べてみても、図案は秀でたものがたくさんあって色彩も目を見張るものがたくさんあります。アメリカや、ヨーロッパの方々の図案への取り組みをみると、まだまだ日本は足元に及ぶことなどとてもと、思う時があります。なぜ、日本とのあいだに、このような差ができてしまったのか、ご存知の方があれば教えてほしいと思います。

ドイツ、ツバイガルト社の生地を拝見しますと、刺繍と生地との組み合わせがすばらしく、テーブルクロスなど高級感があり、刺繍を仕上げられた愛好家の皆様の気持ちを大変配慮された製品に頭がさがります。

又、ヨーロッパもアメリカも大変広大なところですから、愛好家の皆さんが集まって毎月教室を開くことよりも、近くの材料さんから、本や生地・糸・針を購入されて、すぐに刺繍を仕上げていく、といった方法が歓迎されたのではないでしょうか。

刺繍

一方、日本にある材料屋さんというか、仕立て屋さんの始まりは、パリからきたのではと思うときがあります。日本ではあまり見かけませんが、椅子のクッションや、背の張替え屋さんを見るとき、このような家具屋さんが始まりであったような気がします。

日本でも戦後、数社が刺繍用の生地の製造、刺繍糸の生産、刺繍針の生産などに取り組みはじめました。当時はまだまだ海外の製品は、高く購入しにくい時代でもあって、日本のメーカー様の努力には、本当に頭が下がります。
このように、材料の基盤が出来上がってはじめて、仕立て屋さんが水を得たように動きだしました。出来上がった刺繍をスリッパやかばんに仕立てるお店、家具に仕立てるお店、革製のかばんに仕上げるお店、アルバムに仕上げるお店などなど、こんなにたくさんのお店ができあがったのですから、ひとつの刺繍から、いろいろな品物に飾られるようになりました。こんなにも幅広く仕立て屋さんがそろっている国は、少ないのではないでしょうか。
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